やっつけ置き弁:トマトさえあれば 炭水化物 2013年09月26日 食材と料理を計画的に使っているわけではなく。気付いたら あると思っていたものがない、とか前夜のうちに下準備するつもりがYouTubeのBlackBOXに負けてしまった、とか。この日は 朝気付いたら中途半端な量のご飯とチキンソテーのストックしかなく。トマトさえあればご機嫌だぜセニョリータ、と息子がラテンな味覚な持ち主なのを幸いにねじりん坊パスタとじゃがいもをトマト缶で和え、ご飯の上には絹さやを散らして色彩UP。 パスタ&じゃがいもは一緒にゆでたら じゃがいもは煮崩れ気味。(絹さやも一緒にゆでる→もちろん先に引き上げる)そんなことは気にするなセニョール。焼くときにはチーズをのせると最高だぜママー。上のステンレスのBOXは私のお弁当。こっちのパスタはジェノベーゼ。同じく崩れたじゃがいもで。家事能力と女子力や愛情の深さと結びつける表現が苦手で。私はただの食いしん坊で 料理も食べることも好きだが掃除は下手だ。息子への愛情が深いから 置き弁を作るわけではない。もちろん 愛情はうざいほどこめているけれど。掃除が下手だからといって 愛情が薄いわけではない。料理以外の家事は 完全に主人の方が上手で実際 ほとんどを負担してくれている。感謝。当然、主人が私たちへの愛情が薄いから料理をしない、なんて話は成立しない。子供を育てるうえでの生活環境・生活習慣を整えるのは親としての責任の問題で各分野の力の入れ具合は それぞれの得意・不得意と時間の都合にかかっている。ーーーーーなんてことを書いていた数日後、体調の悪い母(=友人)のために 女子力ゼロ(友人談)のお嬢(JK)がはじめてお弁当を作ってくれていた話が。女子力なんて言葉、優しさとか気遣いとか愛情とかそんな言葉の前では薄っぺらすぎると目頭を熱くしながら思った次第。体調の悪いおかーさんのために何ができるかな、と一生懸命考えて作ってくれたのだろうね。支えたい、と思ってすることこそ優しさ。優しさの味は 幸せだったに違いない。